映画『グリーンブック』には、細部にまで緻密に描かれたシーンが数多く存在します。その中でも特に印象的なのが、ドクター・ドナルド・シャーリーとトニー・バレロンガが南部を旅する過程で直面する、文化や生活習慣の違いを象徴するシーンです。中でも、「マットレスに触るな」というシーンは、物語の奥深いテーマを浮き彫りにする重要な瞬間です。このシーンに込められた意味とは何か?そして、「今夜は知られたくなかった!」と叫ぶドクター・シャーリーの心情には、どのような背景があるのでしょうか。本記事では、この象徴的なシーンを掘り下げ、映画全体におけるその意義を探ります。
グリーンブック:マットレスに触るな なぜ
田舎の警察官に人種差別的な発言をされカッとなったトニーが殴ってしまいます。その後、留置所に入れられたトニーとシャーリーのシーンの中で、二段ベッドの所に手をつくシャーリーに対して「おれならそれに触らない」とトニーが声を掛けます。
なぜそのマットレスに触るなって言ったのでしょうか。それは今までにも留置された経験があるであろうトニーの実体験から来る気遣いだと考えます。色んな人が使っているベッドは、そうそうきちんと手入れなどされていなく、きっと不衛生なものだったのでしょう。今まで衛生的な生活を送ってきているシャーリーにはそこまでの知識もないと思えるし、トニーにとってはベッドに腰かけるより地べたに座っている方がまだマシだと考えていたのでしょう。
グリーンブック:今夜は知られたくなかった
シャーリーが「今夜は知られたくなかった」とトニーに言う事となったシーンですが、この部分は考えてもいなかった展開だったのでとても意外でした。というのも、シャーリーはピアニストで、いつも礼儀正しく音楽活動の日々をストイックに過ごしているように見えていたからです。
最初はピアニストとして良い立場で暮らしも裕福そうに思えていたものの、トニーとの南部の演奏旅行での彼らを見ていると、その対照的な人生が更に浮き上がっていくのでした。庶民的で無茶苦茶だけれど家庭があり自分の帰りを楽しみに待っていてくれる家族がいるトニー、ピアニストとしての成功者ではあるもののいつも独りぼっちのシャーリー、おまけに舞台をおりると容赦ない人種差別の世界にさらされます。なんだか本当にひどい話です。
しかし、それ以上に彼の中にある苦悩が同性愛者であった事なのに驚かされました。今では信じられない事ですが、当時の南部社会ではその事を犯罪者扱いしていた地域もあったので、それを誰にも打ち明けられない苦しさを抱えていました。シャーリーがYMCAに出向き同じ仲間に会っていたのも、孤独を抱える彼の癒しを求める気持ちもあったのではないかと推測します。
グリーンブック:遺族 抗議
グリーンブック:フライドチキン 意味
映画『グリーンブック』の中でのフライドチキンのシーンは、いくつかの重要なテーマを象徴しています。まず、このシーンは人種ステレオタイプへの挑戦を示しています。トニー・バレロンガがドクター・ドナルド・シャーリーにフライドチキンを勧めることで、アフリカ系アメリカ人の食文化に関連するステレオタイプに触れます。しかし、ドクター・シャーリーが実際にはフライドチキンを食べたことがないと明かすことで、彼がそのようなステレオタイプから距離を置いていることが明らかになります。これは、彼の知識人としての立場を強調し、ステレオタイプに対する反発を示しています。
また、このシーンは友情と相互理解の象徴でもあります。トニーがシャーリーにフライドチキンを食べさせようとすることで一時的な緊張が生まれますが、最終的にはシャーリーがチキンを試食し、二人の間に微笑ましいやり取りが生まれます。これは、異なる背景を持つ二人が少しずつお互いの文化を受け入れ、友情を深めていく過程を象徴しています。
ドクター・シャーリーのアイデンティティもこのシーンで強調されています。彼がフライドチキンを食べたことがないという事実は、一般的な黒人のステレオタイプとは異なる彼の知識人としての側面を際立たせます。これは、彼が直面する社会的な偏見やステレオタイプと戦うために、自分のアイデンティティを意識的にコントロールしていることを示しています。
さらに、このシーンは映画全体の中でのコミカルなリリーフとしても機能しています。二人のキャラクターの違いや、困難な状況の中で笑いを提供する場面として、観客に楽しんでもらうためのものです。観客はこのシーンを通じて、二人の関係が徐々に緩和され、友情が深まる様子を楽しむことができます。
まとめると、フライドチキンのシーンは単なる食事の場面以上の意味を持ち、映画のテーマである人種差別、ステレオタイプの挑戦、友情、アイデンティティを象徴しています。異なる文化背景を持つ二人が互いに理解し合い、成長する過程を描く重要なシーンとなっています。
グリーンブック:なぜ南部へ
映画『グリーンブック』で、ドクター・ドナルド・シャーリーが南部ツアーを行った理由にはいくつかの重要な側面があります。まず、彼は著名なピアニストであり、全米をツアーすることは彼の音楽活動の一環として欠かせないものでした。南部での演奏は彼のキャリアにとっても重要であり、より多くの人々に彼の音楽を届けるために必要なステップでした。
さらに、当時の南部はジム・クロウ法により人種差別が合法化されていた地域であり、ドクター・シャーリーはその現実に立ち向かう決意を持っていました。南部での演奏は、人種的な偏見と闘うための静かな抵抗の一環であり、彼の存在自体が差別に対する抗議のメッセージとなっていました。
また、ドクター・シャーリーは自身の音楽を通じて教育と啓発を目指していました。彼の演奏は聴衆に感動を与え、黒人の文化と才能を認識させる力を持っていました。南部でのツアーは、差別的な環境の中で黒人がどれほどの才能と価値を持っているかを示す機会でもありました。
このツアーは、ドクター・シャーリーにとって個人的な挑戦でもありました。彼は自身の限界を試し、困難な状況に立ち向かうことで成長を遂げようとしていました。南部での演奏は、彼が自らの信念と能力を証明する場でもあったのです。さらに、南部を旅行する際には「グリーンブック」を使用し、安全に移動し宿泊するためのガイドとして活用しました。
ドクター・シャーリーの南部ツアーは、単なる音楽活動にとどまらず、社会的な意義や個人的な挑戦を含んだ重要なイベントでした。映画『グリーンブック』は、これらの要素を通じて彼の勇気と決意を描き出しています。
グリーンブック:批判 なぜ
映画『グリーンブック』は多くの賞を受賞し、広く称賛されましたが、同時にいくつかの批判も受けました。その理由はいくつかあります。
まず、史実の再現に関して批判がありました。映画はドクター・ドナルド・シャーリーとトニー・バレロンガの実話に基づいていますが、シャーリーの家族は映画の史実性に異議を唱えています。彼らは、シャーリーがトニーと深い友情を築いていたという描写や、家族と疎遠であったという設定に誤りがあると主張しています。このため、シャーリーの人物像や関係性が正確に描かれていないとの批判が出ました。
次に、「ホワイトセイビア」(白人救済者)物語の批判があります。『グリーンブック』は、白人の主人公トニーが黒人のドクター・シャーリーを助けるという物語の構造が典型的な「ホワイトセイビア」映画だとされています。このような物語は、有色人種が自らの問題を解決する能力がないと暗に示すことになり、差別的であると見なされることがあります。
さらに、黒人視点の欠如も批判の一因となりました。映画はトニー・バレロンガの視点から描かれており、ドクター・シャーリーの内面や視点が十分に描かれていないという指摘があります。これにより、黒人の経験や感情が十分に反映されていないと感じる人々からの不満が生じました。映画がシャーリーの複雑なキャラクターや彼の人種的経験を簡略化し、トニーの成長に焦点を当てすぎているという意見があります。
最後に、人種差別の描写がシンプルすぎるという批判もあります。『グリーンブック』は1960年代のアメリカ南部における人種差別という深刻な問題を扱っていますが、その描写が過度に楽観的であり、複雑な社会問題を単純化していると批評家は指摘しています。これにより、観客が実際の歴史的背景や現在の人種問題についての理解を深める機会を逃してしまう可能性があるとされています。
まとめると、『グリーンブック』は感動的で力強いストーリーを提供し、多くの人々に賞賛されましたが、史実の再現性、ホワイトセイビア的な物語構造、黒人視点の欠如、そして人種問題の単純化といった点で批判を受けました。これらの批判は、映画が描くテーマやその描き方についての重要な議論を引き起こしました。
グリーンブック:最強のふたり
「グリーンブック」を観る前は「最強のふたり」の様な内容かと楽しみに観ていました。しかし全く印象の違う内容で最初は少しガッカリでした。一番はシャーリーの常に鬱積したような表情が気になった点でした。その理由はどうしてなのか考えてみました。
彼はどんな地位に立っても世間からは人種差別をうけてしまうのです。それは自分の努力ではどうしようもない部分であり、そんなつらい人生を送っているからだと次第に分かって来ました。
「最強のふたり」では黒人の介護人がそのチャーミングな性格で、屋敷の人たちなどから次第に認められ好意を持って付き合ってくれるのに対して、「グリーンブック」では白人と思っていたトニーでさえも、半分イタリア人の血が混ざっている事で差別的な言葉をあびせられるのです。1960年代のアメリカ南部の人種差別の様子が色濃く表されていて、思っていたよりも社会派の内容となっていました。
グリーンブック:伝えたいこと
映画『グリーンブック』は、1960年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ピアニストのドクター・ドナルド・シャーリーと白人運転手トニー・リップの実話を基に描かれています。この映画は、当時の人種差別や偏見がどれほど根深かったかを描きつつ、異なる背景を持つ二人が友情を築き、互いに理解し合う過程を描いています。映画の中で、彼らは差別や偏見に立ち向かい、違いを尊重し理解することの重要性を強調しています。
ドクター・シャーリーは、自分のアイデンティティと社会の期待の狭間で葛藤しています。彼は優れたピアニストとしての成功を収めていますが、黒人としての差別にも直面しています。一方、トニー・リップは初めはステレオタイプに基づいてドクター・シャーリーを見ていますが、旅を通じて彼の誠実さや人間性に触れ、自らの偏見を見直していきます。この過程を通じて、映画は自己理解と他者理解の重要性を示しています。
また、映画は共感の力とそれによる変化を描いています。トニーは最初、ドクター・シャーリーに対して冷淡で偏見を持っていますが、旅を通じて彼の苦悩や孤独に共感し、次第に変わっていきます。同様に、ドクター・シャーリーもトニーを通じて自分自身を見つめ直し、変化していきます。この共感の力が、映画の中心的なテーマとなっています。
さらに、トニーの家族との絆や、ドクター・シャーリーがコミュニティから孤立していることも重要なテーマとして描かれています。映画は、家族やコミュニティの支えが人をどれほど強くし、その欠如がどれほど人を孤立させるかを示しています。最終的に、二人は新たなコミュニティや家族のような絆を築き上げます。
『グリーンブック』はこれらのテーマを通じて、人種や背景の違いを超えて互いを理解し尊重することの大切さを伝えています。また、共感と誠実さが人々を結びつけ、変化をもたらす力を持っていることを示しています。
グリーンブック:実話 モデル
映画『グリーンブック』は、1960年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ピアニストのドクター・ドナルド・シャーリーと彼の白人運転手トニー・バレロンガ(トニー・リップ)の実話に基づいています。ドクター・ドナルド・シャーリーは、非常に高い音楽的才能を持つアフリカ系アメリカ人のクラシックおよびジャズピアニストであり、彼のキャリアの全盛期は人種差別が厳しい時代にありました。特にアメリカ南部での公演は多くの困難を伴いました。
トニー・バレロンガは、イタリア系アメリカ人で、主にナイトクラブの用心棒や運転手として働いていました。後に俳優として『ゴッドファーザー』や『グッドフェローズ』などの映画に出演しました。1962年、ドクター・シャーリーは南部ツアーの際に、トニーを運転手兼ボディガードとして雇いました。彼らは「グリーンブック(The Negro Motorist Green Book)」という、アフリカ系アメリカ人が安全に旅行できる宿泊施設やレストランを紹介するガイドを使用しました。
ツアーを通じて、二人は多くの困難や挑戦に直面しましたが、その過程で深い友情を築きました。トニーは最初、ドクター・シャーリーに対して多くのステレオタイプを抱いていましたが、彼の人間性や才能に触れることで考えを改めました。一方、ドクター・シャーリーもトニーを通じて孤独から解放され、より自分らしく生きる道を見つけました。映画は、この友情が互いに対する偏見や誤解を乗り越え、共感と理解を深める過程を描いています。
映画『グリーンブック』は、彼らの旅と成長の物語を通じて、人種や背景を超えた理解と共感の重要性を伝えています。実話に基づくことで、そのメッセージには一層の説得力と感動が加わっています。この映画を通じて、ドクター・シャーリーとトニー・バレロンガの実際の物語が広く知られるようになり、彼らの経験と友情が後世に伝えられることとなりました。映画は批評家から高く評価され、2019年のアカデミー賞で作品賞を受賞しました。