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『パルプフィクション』何が面白い?ヴィンセント死んだ意味!

『パルプフィクション』何が面白い? エンタメ
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映画『パルプ・フィクション』は、クエンティン・タランティーノ監督の斬新で非線形な物語構造が特徴で、ジョン・トラボルタ、ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソンらが出演しています。

この映画は、ギャングの世界を背景にしたエピソードが交錯し、急な暴力や予期せぬ展開が描かれている点が特徴です。映画は1960年代のパルプ雑誌やB級映画へのオマージュであり、死やモラリティのテーマを探求しています。何が面白いのか意味、ヴィンセント死んだのかなどを考察します。

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パルプフィクション:何が面白い

はっきり言って初めて観た感想は「何を見せれられているのだろう・・」と頭の中は?がいっぱいでした。この作品はいったい何が面白いのか?言いたい事は?と疑問符ばかりでした。

確かに出演者は、ジョントラボルタ・ブルースウィリス・サミュエルLジャクソンなど有名人ばかりでしたが、全体的に流れる軽快さとは裏腹にギャングの世界は過酷な殺人などが繰り広げられて行くばかりで・・。

そのサミュエル・L・ジャクソンを私が始めて知ったのは、彼が主演する「コーチ・カーター」だったので、今作の殺し屋役はなかなか新鮮な感じを受けました。そして時系列が分かりにくかったので、何度も見返す事で次第に繋がりが分かって来て、その余裕が出来てくると同時に各人のシーンでの独特のセリフ回しに魅了され、噛めば噛むほど味が出る作品のように感じて行きました。

パルプフィクション:ヴィンセント 死んだ

中盤くらいで、ヴィンセントが撃たれて死んでしまいます。でもその前後の別のシーンで彼が普通に出て来ているので、ちょっと混乱してしまいますね。その彼が殺されたシーンというのが、ボスのマーセルスに追われる事となってしまったプッチが、大切な時計を家に忘れていた事に気づき一人戻ります。

案の定そこにはボスの息のかかった殺し屋・ヴィンセントが入り込んでいたのですが、先に気づいたプッチがヴィンセントを撃ち殺して逃げて行きます。その後のプッチとマーセルスの攻防と2人に降りかかった災難に、プッチがマーセルスを助けた事で和解となって行きます。

本来ならここでもうヴィンセントの登場シーンは終了となるハズなのですが、この後(ストーリーが戻る形で)最初の方の若者らのアパートのシーンに移るのです。少し新しいシーンが追加されるものの、ジュールズとヴィンセントは裏切った若者らを射殺してアタッシュケースを取り戻し、なんやかんやあった後であのレストランでの強盗事件に遭遇していくのです。それぞれの動きは普通なのですが、複雑な展開の様に感じてしまいます。

パルプフィクション:考察

『パルプ・フィクション』は、その独特なスタイルと物語構造で映画評論家や観客から高い評価を受けています。クエンティン・タランティーノ監督によるこの作品は、伝統的な映画の物語構造を再解釈し、多くのテーマや要素を巧みに絡ませています。以下に、その重要な考察ポイントを紹介します。

映画は非線形の物語構造を採用しており、時系列に沿わないエピソードが展開されます。これにより、観客は物語を異なる視点から見ることになり、登場人物の行動や選択が新たな意味を持つようになります。この手法は、観客が物語を積極的に解釈し、つなぎ合わせることを要求し、映画体験をよりダイナミックで参加型のものにしています。

映画では偶然の出来事が重要な役割を果たします。登場人物たちは運命的な出来事に直面し、その選択が彼らの人生に深刻な影響を与えます。例えば、ヴィンセントがトイレにいる間に起こる出来事や、ジュールスが「神の介入」を目撃するシーンなどです。これらのエピソードは、運命と偶然が人生にどのように影響を及ぼすかについての考察を提供しています。

タランティーノは映画全体にポップカルチャーの引用や言及を散りばめています。これにより、映画は特定の時代の文化的な風景を反映し、よりリアルで親しみやすいものとなっています。このアプローチは登場人物の会話を通じて特に顕著であり、彼らの対話は映画の重要な特徴となっています。

ジュールスのキャラクターは、映画の終盤にかけて顕著な変化を遂げます。彼は自身の生き方を再考し、暴力からの救済という形で新たな人生を求める決意をします。これは、人が過去を乗り越えて新しい始まりを切る可能性を示唆しており、映画に深い哲学的な層を加えています。

これらの要素により、『パルプ・フィクション』は単なるエンターテインメントを超えた作品として評価されています。映画は観客に道徳的な問いを投げかけ、個々の登場人物の選択が持つ意味と影響を探求することで、深い反響を呼び起こしています。

パルプフィクション:あらすじネタバレ

映画『パルプ・フィクション』は、1994年にクエンティン・タランティーノが監督したカルトクラシックです。この作品は連続するエピソード形式で構成され、異なるキャラクターと物語が交錯しながら進行します。暴力、ユーモア、そして深い対話で知られ、ポップカルチャーにおいて非常に影響力のある映画となっています。

プロの殺し屋ヴィンセント・ベガ(ジョン・トラヴォルタ)は、ボスのマースルス・ウォレス(ヴィング・レイムス)の妻ミア(ユマ・サーマン)をデートに連れ出します。二人はレストランでダンスコンテストに勝利し楽しい時間を過ごしますが、ミアがヘロインを過剰摂取する危機的な状況に直面します。一方、ボクサーのブッチ・クーリッジ(ブルース・ウィリス)は、死んだ父から受け継いだ金の時計を取り戻すために戻ったアパートで暴力的な出来事に巻き込まれます。彼はボスのマースルスを裏切り、壮絶な対決に発展します。

物語は、強盗を計画するカップル、パンプキン(ティム・ロス)とハニー・バニー(アマンダ・プラマー)が登場するダイナーのシーンから始まります。映画は異なるキャラクターとエピソードを追いながら進行し、最終的にダイナーに戻って締めくくられます。この場面で、ヴィンセントと彼のパートナーのジュールス(サミュエル・L・ジャクソン)が重要な役割を果たします。

『パルプ・フィクション』は、その非線形の物語構造、鋭い対話、そしてアイロニーに満ちた暴力的なシーンで知られています。タランティーノは映画ノワールの要素を現代的に解釈し、1960年代のパルプ雑誌やB級映画へのオマージュとして作品を構成しました。この映画は倫理的なジレンマ、偶然の運命、そして救済のテーマを探求しています。

『パルプ・フィクション』は、独特のスタイルとストーリーテリングでアカデミー賞を含む数多くの賞を受賞し、映画史における重要な地位を築きました。

パルプフィクション:意味

さて、このタイトルは何を意味しているのか?を紐解いて行きたいと思います。
「パルプ・フィクション」は直訳すると”安っぽい小説”という意味です。
という事は、登場人物一人一人の人生を中心にスポットをあてているのではなく、この奇抜な構図にも力を入れて作った作品なのかなぁと思いました。
これが作成された1990年代当時はこのような表現方法はとても画期的な試みだったようで、かなり話題となっていたようです。

パルプ・フィクション 怖い

ギャングの世界を中心に描かれているので、死に対して軽いというか、躊躇なくあっという間に人を撃ってしまう怖さを感じされられます。言葉の内容がコミカルなのもそう感じられる1つの要素かも知れません。

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